東京地方裁判所 昭和33年(行)159号 判決 1963年4月18日
原告 張ヤス 外四名
被告 関東信越国税局長
訴訟代理人 加藤宏 外五名
主文
足利税務署長が原告らの贈与税につきした決定処分に対して原告らがした審査請求につき、被告が昭和三三年七月二八日にした審査請求を棄却する旨の審査決定を取り消す。
足利税務署長が原告らの相続税につきした更正処分に対して原告らがした審査請求につき、被告が昭和三三年七月二八日にした審査決定中、更正処分の一部を取り消す旨の部分を除き、別表第一原告ら主張額欄記載の各金額をこえる部分を取り消す。
訴訟費用は、被告の負担とする。
事 実 <省略>
理由
一、足利税務署長が昭和二九年一月一一日、原告らがその被相続人亡張兆森の贈与税債務を承継したものとして原告らに対し、課税価格を金六七〇、〇〇〇円、贈与税額を金二一〇、四〇〇円とする本件贈与税決定処分をなし、また原告らが相続税につきした申告につき本件相続税更正処分をしたこと、原告らが昭和二九年二月一〇日本件贈与税決定処分及び本件相続税更正処分をいずれも不服として被告に対し審査の請求をし、被告が昭和三三年七月二八日、本件贈与税決定処分に対する審査の請求については、これを棄却する旨の本件贈与税審査決定を、本件相続税更正処分に対する審査の請求については、原処分である本件相続税更正処分の一部を取り消したうえ原告らの納付すべき相続税額等を別表第一審査決定額欄記載の各金額とする旨の本件相続税審査決定をしたこと、原告張仁輝が昭和二四年六月頃訴外平井カツから土地建物を買い受けた際、その代金七二万円の支払が張兆森名義の足利銀行東支店の預金からなされ、これが右張兆森の原告張仁輝に対する贈与であると認められて本件贈与税決定処分がなされたものであること、張兆森死亡当時における同人の相続財産中、積極資産が別表第三(一)積極財産欄記載のとおりであり、消極財産として同表(二)記載の合計金二〇、三一〇、〇八七円の各負債があること、右積極資産中通知預金六、五〇〇、〇〇〇円は原告張仁輝、同張仁吉名義の同額の通知預金を被告が張兆森のそれと認定したものであることは、いずれも当事者間に争いがない。
二、原告らが本件贈与税審査決定および相続税審査決定の違法事由として主張するところは、原告張仁輝が昭和二三年一月から昭和二五年三月にいたるまでの間に、その経営する香妃牌工業公司なる化粧品製造販売業によつて取引先から取得した手形、小切手及び現金を張兆森名義の株式会社足利銀行東支店及び株式会社富士銀行足利支店の各預金口座に振り込んだ合計金四、四八九、九五三円については、張兆森がこれらの銀行に対して右額の預金債権を有する反面、原告張仁輝に対しては同額の預り金債務を負担した関係となるものであるところ、同原告が前記のように土地建物の売買代金の支払にあてた七二〇、〇〇〇円は右張兆森名義の銀行預金から引き出されたものであるから、右は同人の原告仁輝に対する贈与ではなく、預り金の一部返還と認むべきものであり、したがつて贈与税の対象となるものではなく、また右金四、四八九、九五二円から右の一部返還にかかる金七二〇、〇〇〇円を控除した金三、七六九、九五三円は当然張兆森の債務として原告らの相続財産中に消極財産として加えらるべきものであるのに、これを逸脱しているから、この点において本件相続税審査決定にも違法があるというにあり、これに対して被告は、前記香妃牌工業公司は原告張仁輝の経営ではなく張兆森の経営にかかるものであり、右営業による収入は当然張兆森の収入であるから、本件各審査決定にはなんら原告らの主張するごとき違法はない旨抗争するので、まず右香妃牌工業公司の経営主体が原告張仁輝であるか、張兆森であるかについて判断を加える。
三、成立に争いのない甲第三号証原告張仁八本人尋問の結果によつて成立が認められる甲第四、第五号証、証人八尾正男、同苫米地敏雄、同武藤儀四郎、同茂木つね子、同速水宇吉、同平沢次郎の各証言及び原告張仁八本人尋問の結果を綜合すると、訴外マスター化粧品販売株式会社(似下マスターという。)社長訴外阪本一郎は、かねて香妃牌(シヤンフヱイ)という中国名の化粧用クリーム(以下クリームという。)の商標権を持つていたが、昭和二一、二年頃、中国人名義で右商標を用いてクリームを発売すれば、当時におけるクリームの統制販売価格一瓶金三〇円を超える価格で販売することの許可を受けるに容易であり、かつクリームの主原料である油脂の配給を受けるにも好都合であると考え、かねて懇意の間柄にあつた油脂統制会及びその後身の油脂工業会の訴外苫米地敏雄に適当な中国人の事業家の紹介を依頼したところ、同人は油脂の配給を通じて知り合つていた原告張仁輝を阪本に紹介し、その結果その頃原告仁輝、阪本、苫米地の間に、阪本が前記香妃牌なる商標の使用を原告張仁輝に許し、同原告が阪本から製品になる一歩手前のクリームの素材の提供を受け、その技術指導のもとに、これを完成品として、仕上げ、瓶詰、包装等を施したうえ、香妃牌なる名称のクリームとして発売すること、その販売及び代金の回収はマスターにおいて担当すること、阪本及び原告張仁輝は諸経費を控除した利益の各二分の一の配分を受け、また苫米地は顧問料として一定額の支払を受けることなどを内容とする契約が成立したこと、原告張仁輝は、右契約に従つてその頃、父張兆森の経営していた織物仲次商中華実業商店とは別個に、足利市伊勢町に工場用の建物を賃借して、クリーム製造工場を設立し、これを香妃牌工業公司(以下公司という)と名づけ、女工約三〇名を含む従業員約四〇名を使用して昭和二三年から本格的に操業を開始し、当初は月平均売上高約二〇〇万円の実績をあげたが、昭和二四年頃から競争の激化に伴つて売行きも遂次下降線をたどり、同年一二月にマスターが営業を停止したこともあつて同公司も操業を中心するにいたつたこと、この間において公司の事業運営には主として原告張仁輝があたり、原告張仁八がこれを手伝つており、張兆森は月に一、二度顔を出すことがあつたが事業の経営には関与したことがなく、またクリームの製造販売に伴う物品税の納付についても、原告張仁輝がその名でこれを行つていたこと、以上の事実をそれぞれ認めることができる。証人松下高吉の証言によつて成立を認めうる乙第一、第二号証中上記認定に反する記載部分は採用し難く、他に右認定を動かすに足る証拠はない。これによつてみると、香妃牌工業公司は原告張仁輝の経営にかかるものであり、張兆森の経営する営業ではないといわなければならない。
被告は、原告張仁輝は東京において株式会社第一銀行麻布支店に香妃牌工業公司なる名義の預金口座が開かれているのに、同公司の事業によつて生じた収入は右預金口座に入金されないで、足利銀行東支店及び富士銀行足利支店における張兆森の預金口座に入金されていることに照らしても、同公司が張兆森の営業であることが明らかである旨主張し、右各預金口座の存在と入金の関係が被告主張のとおりであることは原告らの認めるところであるけれども、前掲甲第四、第五号証と証人八尾正男の証言及び原告張仁八本人尋問の結果によると、第一銀行麻布支店における右公司名義の預金口座は同公司の東京における小口の支払のために開設されたものであり、他方張兆森名義の預金口座への入金は、香妃牌クリームの売上代金をマスターの従業員が手形をもつて回収し、阪本が精算のうえ原告張仁輝の取得すべき利益金を右販売先からの受取手形または小切手もしくは現金で同支店に支払い、同原告はこのうち手形の分を別表第二(一)記載のとおり足利銀行東支店の張兆森名義の預金口座に、小切手と預金については同表第二(二)記載のとおり富士銀行足利支店に張兆森名義の預金口座を開いてこれにそれぞれ入金したものであるが、同原告がかような方法をとつたのは、同原告は足利市において自己名義の預金口座を有せず、他方張兆森はかなり前から足利銀行東支店に当座預金口座を有していたところ、同原告は父親である右張兆森と同居し、同人の営む前記中華実業商店なる織物仲次商についても原告張仁八とともに資金的援助をしたこともあつて、兆森とはきわめて密接な関係にあるので、特に自己名義の預金口庫を開設しなくとも、張兆森の右預金口座を利用して手形の取立委任をすれば簡便であると考えられたこと、また富士銀行足利支店における預金口座の開設及び入金については、同銀行の行員から張兆森名義で預金口座を開設してこれに入金すれば、同人の対外信用力を高めることとなるからそうしてはどうかとすすめられ、他方原告張仁輝としても上に述べたような事情から特に自己名義の預金口座を開設する必要も感じなかつたので、右行員のすすめるとおり張兆森名義で預金口座を開いてこれに入金したものであることを窺うに足りるから、被告主張の上記事実は、香妃牌工業公司が原告張仁輝の営業であるとの上記認定を動かすものではなく、また証人江村正春(第一回)の証言によつて成立を認めうる乙第五号証の一、二と同証人の証言によれば、昭和二四年二月頃から同年一二月までの間において、張兆森名義の前記預金口座から、張兆森の経営にかかる中華実業商店の取り扱う織物商品の運送賃や、原告張仁八の営んでいる石けん等の洗剤の運送賃の一部右洗剤原料代金等の一部が麦払われているほかに、香妃牌工業公司の出荷した化粧品運送代金として九八五円が、同公司が返送したクリーム用陶製瓶の運送代金として合計金七、二六一円が訴外東両毛運送株式会社に支払われ、また同公司の購入したクリーム用瓶の蓋の代金として合計金七八、五〇一円二〇銭が訴外日東化工業株式会社に支払われていることが認められ、これらの事実は、上記同公司の営業上の利益金が張兆森の預金口座に入金されている事実と相俟つて、香妃牌工業公司の営業上の収支と張兆森の経営にかかる中華実業商店の営業上の収支とが明瞭に分別されず、前記江村証人のいわゆるドンブリ勘定として一括的な取扱いを受けていることを示すものであり、そのことはまた、香妃牌工業公司による化粧品の製造販売も中華実業商店による織物製品の仲次業も、それぞれ、原告張仁輝または張兆森が各独立して経営する営業というよりも、むしろ張兆森を中心とする同人一家の営業たる実質をもつものであり、したがつて右公司の営業上の利益も、一家の中心的地位にある張兆森個人に帰属するものと認めるのが相当であるとする被告の主張を裏づけるもののような感がないでもないけれども、右のごとく香妃牌工業公司の負担した運送賃等の支払のため張兆森名義の預金口座から支出された金額は、同公司の取り扱つたと考えられる商品量に比して明らかに少額であり、右以外に同公司の経営上の費用が右預金口座から常時的に支出された形跡のみるべきものがないところから考えると、右は、原告張仁八がその本人尋問において述べているように(果して同原告が供述するようにその後において現実に原告張仁輝と張兆森との間に精算が行われたかどうかは疑問であるが、それはともかくとしても)、原告張仁輝の不在その他の特別の理由のために一時張兆森名義の預金口座から立替支出されたものと認めるのが相当であるから(前記張兆森の預金口座からは原告張仁八の営む右石けん等の洗剤関係の費用が支出されており、これも同様の事情によるものと思われるが、被告はこれについては、香妃牌工業公司の場合と異なり、一貫して原告張仁八の営業と認め、張兆森のそれとは認めていないのである。)、この事実もまた上記認定を覆えすに足りないというべきである。さらにまた、被告は、原告張仁輝が昭和二三年ないし昭和二五年度において公司の営業上の収益を自己の所得として申告していないこと、張兆森死亡後昭和二八年四月九日に原告らが作成した遺産分割協議書には、原告張仁輝の主張するように右公司関係の張兆森名義の預金口座への入金を同人に対する同原告の預け金債権として計上していないことをもつて被告の主張を裏づけるものとなすもののようであり、前者の事実は原告らの認めるところ、後者の事実は成立に争いのない乙第三号証によつてこれを認めうるところであるけれども、原告張仁輝による所得申告もれの事実は、他方において右公司の営業上の収益が張兆森の個人所得として申告されたという事実の認められない本件においては、同公司が原告張仁輝の経営にかかるものであるとの認定を妨げる反証となるものではないし、また前記遺産分割協議書における記載内容についても、原告張仁八本人尋問の結果によれば、右協議書は、張兆森の死亡に伴う相続関係について足利税務署から申告を要求されたが、本国法上の相続関係が不明であるため回答が延引しているうち、同税務署から一応遺産分割協議書という形式で書面を提出すべきことを示唆され、その指示に従つて主として不動産及び有価証券を中心として一応分割協議書なるものを作成提出したけれども、その記載内容は必ずしも正確なものでないことが認められるのみならず、右協議書には消極財産の記載は全然なく、積極財産のみが記載され、しかも後者のうち預金としてはわずかに足利銀行外に金六二、八〇〇円が計上されているにとどまる点からみても、張兆森名義の預金口座への前記公司関係の入金についての原告張仁輝の張兆森に対する債権が右協議書に記載されていないことは、毫も被告の上記主張を裏づけるものではないというべきである。その他に上記認定を覆えし、香妃牌工業公司が原告張仁輝の営業でなく張兆森のそれであり、したがつて右公司関係の収益は同人に帰属するものとなす被告の主張を認めるに足りる証拠は存在しない(証人佐竹一三、同江村正春(第一回)、同松下高吉の各証言中右認定に反する部分は主として単なる同証人らの意見であつて、採用できない。)
四、してみると、右公司の営業上の収入で上記のように張兆森名義の足利銀行東支店の預金口座に入金された合計金二、四六九、九五三円五〇銭、富士銀行足利支店の預金口座に入金された合計金二、五一九、九三六円一五銭(昭和二三年下期までの利息を含む。)は、いずれも原告張仁輝の得た収入であつて、同原告がこれを便宜上張兆森名義の預金口座に入金したものにすぎないから、特に原告張仁輝がこれを張兆森に贈与したと認むべき事情の存しない本件においては、課税上は、これを原告張仁輝の所得及び財産とみるか、あるいは銀行との関係上右預金債権を張兆森に帰属するものと認める場合には、原告張仁輝は張兆森に対して同額の預け金債権を有するものと認むべきものであるといわなければならない。もつとも前記のように張兆森の預金口座から香妃牌工業公司関係の費用の一部が立替支出されていることと、その後において右立替金が弁済されたかどうかが不明であることから考えると、果して原告張仁輝の右全金額の権利が張兆森の死亡までそのまま残存していたかどうかについては疑問なしとしないが、この点について被告において格別主張するところがない本件においては、これを考慮外においてさしつかえないというべきである。そうだとすると原告張仁輝が前記のように訴外平井カツから土地建物を買い受けた代金の支払のために張兆森名義の足利銀行東支店の預金口座から払戻しを受けた金七二〇、〇〇〇円は、特段の事由のない限り、張兆森から同原告に贈与されたものではなく、同原告自身の預金の払戻しか、ないしは張兆森に対する預け金債権の一部返還たる性質を有するものと認めるのが相当であるから、贈与税の課税物件となるべきものではなく、したがつてこれと反対の見解に立つてなされた贈与税決定処分は違法であり、これを認容した本件贈与税審査決定もまた違法として取消しをまぬがれないし、また香妃牌工業公司関係の張兆森名義の右銀行口座への入金分は、これを同人の相続財産中の積極財産から控除するか、または消極財産中に同人の預り金債務として計上すべきであり、その金額は足利銀行東支店の分については上記二、四六九、九五三円五〇銭から原告張仁輝が払戻しを受けた前記七二〇、〇〇〇円を控除した残額一、七四九、九五三円であり、(端数五〇銭は、原告ら自身切り捨て計算をしているめで、これを算入しない。)富士銀行足利支店分については、原告らは上記二、五一九、九三六円一五銭のうち張兆森が昭和二三年八月三一日に引き出した金五〇〇、〇〇〇円を控除し、その残額に、これに対する張兆森の死亡時たる昭和二六年一月二七日までの一〇〇円につき日歩七厘の割合による利息を加えたものの範囲内である二、〇二〇、〇〇〇円のみを原告張仁輝の預け金債権として主張し、上記の同銀行の預金分が右の割合による利息(この点については被告は明らかに争つていない。)を含めて原告主張の右金額を超えることは計算上明らかであるから、原告らの相続税の算定については課税標準額から右二口をあわせた金三、七六九、九五三円を控除すべきものであり、右金額を控除して計算すれば原告らの納付すべき相続税等の額は別表第一原告ら主張額欄記載のとおりとなることは計数上明らかであるから、本件相続税更正処分中右金額をこえる部分は違、法であり、これを認容した本件相続税審査決定もまた右の限度において違法として取り消されるべきものである。
よつて原告らの第一次的請求はいずれも理由があるから、これを認容し、訴訟費用の負担については、民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 位野木益雄 中村治朗 大関隆夫)
別表第一、二、三、四<省略>